1. ランチェスターの経歴
2. ランチェスターの法則
3. 第2次世界大戦で再評価
①戦略攻撃に67%を配分
②戦術攻撃に33%を配分
4. 必勝と圧勝の法則
5. オペレイシヨンズ・リサーチの本を出版
6. ランチェスター法則の経営への応用
7. 田岡先生と斧田先生が市場占有率を発表
①26.1%。強者の最低条件
②41.7%。スーパー強者。実質上50%
③73.9%。独占的強者。実質上100%
8. ランチェスター法則との出会い
9. ランチェスター経営を創業
10. ランチェスター先生の墓参りに行く
11. 強者の戦略と弱者の戦略
この動画は、
ランチェスター経営株式会社の
代表である竹田陽一氏が、
「ランチェスター法則が
どのようにして出来上がり、
どのような経緯で日本に伝わり、
ビジネス戦略へと応用されるようになったのか」
という
ランチェスター戦略の歴史、
成り立ち、
背景を解説した講義映像(前編)です。
書籍を読んだだけではわからない、
発案者F・W・ランチェスター自身の生い立ちや、
世界大戦中の秘話、
日本への導入初期の
リアルなストーリーを詳細に語っています。
1. 創始者 F・W・ランチェスターの経歴
生誕と生い立ち
1868年10月28日
(日本の明治元年にあたる)
にロンドン南部で誕生し、
1946年3月8日に77歳で亡くなりました。
エンジニアから自動車メーカー創業へ
技術専門学校を卒業後、
ガスエンジンメーカーに就職して
多数の特許を取得。
その資金を元手に、
27歳のときにガソリンエンジンで動く
イギリス初の自動車(ランチェスター車)を
開発・製造し、
28歳から40歳までの12年間、
自ら自動車会社を経営しました。
※大正から昭和初期にかけて、
日本の秩父宮殿下も
特別注文のランチェスター車を愛用していました。
会社売却とコンサル転向
資金調達がうまくいかなくなったため、
会社をイギリスのダイムラー社
(ドイツのダイムラー・ベンツとは別会社)
に売却し、
以降は技術コンサルタントとして活動します。
2. 「ランチェスターの法則」が生まれた背景と誤解
法則誕生
45歳のときの1914年7月に
第一次世界大戦が勃発したことをきっかけに、
戦闘における
両軍の力関係の数理モデルを研究。
同年10月2日に
技術雑誌に発表した論文が
「ランチェスターの法則」
の始まりとなりました。
空中戦損害分析の誤解
日本のビジネス書等では
「ランチェスターは空中戦の損害量を分析して法則を思いついた」
と説明されがちですが、
これは時系列上の誤りです。
実際の空中戦が始まったのは、
ランチェスターが
法則を発表した1年半後(1916年春)であるため、
空中戦データから法則を作ったというのは
完全な間違いです。
3. 第1法則と第2法則の基本
第1法則(接近戦・一騎打ち戦の法則)
攻撃力 = 兵力数(量)× 武器性能・技能 (質)
刀や槍など、
届く範囲が狭い兵器で戦う接近戦
(一騎打ち)において適用されます。
第2法則(遠隔戦・確率戦の法則)
攻撃力 = 兵力数の2乗(量の2乗)× 武器性能・技能(質)
ライフルや機関銃など、
射程距離が長く、
離れた位置から
全員が一度に攻撃に参加できる戦いに適用されます。
この場合、
確率の法則により
兵力の量が「2乗」で効いてくるため、
数の多い強者が圧倒的に有利になります。
1916年初めに
ランチェスター氏はこれらをまとめた著書
『戦闘における航空機(Aircraft in Warfare)』
を出版しました。
4. 第二次世界大戦での軍事利用と「クープマンモデル」
米国の作戦研究(OR)
日本・ドイツとの開戦を予期した
アメリカ国防省は、
数学や物理の専門家を集めて
プロジェクトチーム(オペレーションズ・リサーチ:OR)を結成。
コープマン(クープマン)によるモデル化
数学者バーナード・コープマンが、
ランチェスター法則に
ゲーム理論や「補給」の概念を組み合わせ、
「戦闘に勝つための最適な軍事予算配分」
を計算で証明しました。
戦略攻撃(2/3)と戦術攻撃(1/3)の比率
対日戦において、
最高効率で勝利するための予算配分は、
「戦略攻撃に2/3(約67%)」
「直接的な戦術攻撃に1/3(約33%)」
の割合(2対1)であると算出されました。
戦略攻撃(補給・根本を断つ)
敵国の兵器工場、食料工場、
およびそれらを運ぶ港や橋を爆撃して、
戦場への補給(大元)を弱める地味な攻撃。
アメリカはこれにより
B-29爆撃機を開発し、
日本の大元の生産・補給能力を破壊して
兵を餓死・無力化させました。
戦術攻撃(目の前の敵を叩く)
既に目の前にいる
敵の空母や戦車と
直接戦う派手な攻撃。
3対1・4対1の数的優位法則
米軍は、
日本の優秀な戦闘機「零戦」を撃破するために
「3対1(必勝の条件:アメリカ3機 vs 零戦1機)」や
「4対1(圧勝の条件)」
の集団チーム戦法を徹底し、
結果的に
空中戦での戦闘機喪失率や
戦死者数で「10対1」という
計算通りの圧倒的差を生み出し勝利しました。
5. OR理論(クープマンモデル)のビジネス(経営)への置き換え
この軍事爆撃・数的優位の理論を
ビジネスに置き換えると、
非常にわかりやすい経営のウェートが導き出されます。
戦略力(ウェート 2/約67%)
他社よりも有利な条件で
粗利益が安定して
自社に補給される仕組み(根拠)を作ることで、
商品・営業地域・客層を絞って
「市場占有率(シェア)1位」
を作ることがこれに該当します。
これは
「社長の経営力」(戦略の知恵)の領域であり、
目に見えないが最重要です。
戦術力(ウェート 1/約33%)
顧客を獲得するための
個々の店舗販売や営業マンの直接の販売活動。
これは「従業員の仕事実力(現場の技術・営業)」であり、
目に見えやすいため重視されがちですが、
重要度の割合は全体の1/3に過ぎません。
必勝(1.73倍)と圧勝(2倍)のシェア基準
経営上の様々な競争
(訪問頻度、
特定の狭い地域への人員・店舗配置、
スーパーの売り場面積など)
において、
2番手のライバルに対して
「1.73倍(ルート3:必勝)」
または
「2倍(ルート4:圧勝)」の差をつけることで、
長期的・安定的なナンバーワンを確立することができます。
時間戦略への応用
中小企業の平均労働時間(1,850時間)に対して、
社長自らが
「3,200時間(1.73倍:必勝)」
または
「3,700時間(2倍:圧勝)」
死ぬ気でやるなら
「4,140時間」の仕事時間を投入すれば、
業績において
思い通りの最高効率の結果を出すことができるという基準です。
6. 日本でのビジネス応用・導入の歴史
伝来
戦争終了後の1950年、
ORチームのフィリップ・モースらが
軍事的な問題解決法としてまとめた本を
アメリカで出版。
その後、
日本経済復興を目的とした
米国顧問団のデミング博士らが
この本を日科技連(日本科学技術連盟)に贈り、
1955年に
日本語へ翻訳・出版されたのが
日本への伝来です。
「強者の戦略・弱者の戦略」の生みの親
翻訳本を読んだ日本の専門家たちが、
ランチェスター法則を
「競争の法則」として置き換えました。
その中で最も早く研究し、
「強者の戦略」
「弱者の戦略」
という現代に通じる
強烈な表現テキストを作成して
全国に広める原動力となったのが、
翻訳チームにもいた中原君平氏でした。
1960年末〜1961年初頭にかけて、
奥村庄司氏の『企業間競争と技術』や、
東大教授の林周二氏による
『日本の企業とマーケティング』など、
中原氏の講義に影響を受けた著者たちによって、
日本初のランチェスター経営本が誕生し、
全国的なブームへと発展していきました。
前編に続き、
ランチェスター戦略の根幹である
「市場占有率(シェア)の3大数値」
が導き出された経緯や、
竹田氏自身がランチェスター法則と出会い、
起業し、
独自のランチェスター経営を
体系化するまでの歩みが語られています。
1. 市場占有率(シェア)の「3大数値」の発見
発見者と経緯
田岡信雄先生と
小野田太公望先生が
(ともに産業教育会社セールス・プロモーション・ビューロー[SPB]の講師)
前発の書籍や
クープマン(コープマン)の戦略モデル数式から
着想を得ました。
1962年7月から約1年をかけて、
ビジネスに応用可能な
「市場占有率の3大数値」を
日本人の独創によって導き出しました。
【3大数値の内容と覚え方】
① 26.1%(下限目標値)
1位を名乗るための最低基準。
これ未満の1位は一時的なもので、
真の1位のパワー(市場への影響力)を持っていません。
語呂合わせ:「フロック(26.1)だが1位」
② 41.7%(安定目標値)
この占有率を確保すると、
実質的に市場全体の半分(50%)を握るのと同じになり、
経営が非常に安定します。
語呂合わせ:「良いな(41.7)安定」
③ 73.9%(上限目標値)
実質的に市場全体をほぼ独占した状態。
首位がこれを超えると、
同業ライバルのほとんどが赤字に転落し、
急速に市場から退場していきます。
語呂合わせ:「悲惨な苦労(73.9)」
二乗の法則
なぜ占有率を高めると
経営が強くなるのかというと、
「従業員1人当たりの経常利益が、
市場占有率の2乗に比例する」
(三次曲線的に跳ね上がる)
という数理的特性があるためです。
2. 田岡信雄氏の成功とベストセラー
田岡先生は1970年頃から
ランチェスター戦略の講演活動を本格化し、
1972年12月に出版した著書
『ランチェスター戦略入門』
が大ベストセラーとなりました。
これを機に田岡先生自身が
一流の売れっ子講師・コンサルタントとして
確固たる地位を築いていきます。
3. 竹田陽一氏とランチェスター法則の出会い
出会い
1973年7月23日、
竹田氏(当時34歳)は
博多で行われた田岡信雄先生の講演会に参加し、
一瞬で魅了されました。
魅了された理由
① 高校時代から
自作テレビを組み立てるほどの
「電気・無線オタク」だったため、
電気の法則(物理法則)と
ランチェスター法則の
数理モデルがまったく同一であると直感し、
深く納得したこと。
② 当時勤めていた
企業調査会社(信用調査・倒産取材)の業務において、
企業の「市場占有率」の
原理原則を知ることが、
企業の信用力を測る
強力な武器になると確信したこと。
田岡先生との距離の縮め方(サラリーマン知恵)
当時サラリーマンだった竹田氏にとって、
4万〜5万円相当(現代換算)する
高額な田岡先生のセミナー参加費は
経済的に大きな痛手でした。
そこで、
地元の商工会議所や地方銀行、
大企業などに
「田岡先生の講演会を開くなら、
自分が窓口となって
無料でお手伝い(お世話)します」
と売り込み、
裏方として数多くの講演を
「特等席かつ無料」で聴く手法を考案。
結果的に田岡先生と個人的にも
非常に親しい間柄になりました。
4. 創業と田岡先生の急逝
独立起業
講演活動の実績
(企業調査会社時代に1,000回近く講演)
を重ねていた竹田氏は、
1983年6月1日に独立し、
田岡先生のフランチャイズ(FC)として
毎月指導料を支払う形で
福岡に事務所を構えました。
一度も直接指導を受けぬままの別れ
独立直後はあまりの忙しさに
田岡先生から
本格的な直接指導を受ける時間がなく、
独立からわずか2ヶ月後に
田岡先生が病気で入院。
一度は退院したものの再入院し、
1984年11月23日、
57歳の若さで
田岡信雄氏は急逝しました。
竹田氏は、
田岡先生の手法を
単にそのままマネるだけの
コンサルタントにはなりたくないと考え、
自分独自の視点から
ランチェスター経営理論を再構築し、
開発していくことを決意します。
5. 創始者F・W・ランチェスター墓参りと「帰依」
イギリスへの旅
田岡先生の一周忌(1985年秋)を機に、
竹田氏は
「基本(原点)から徹底的に勉強し直そう」
と決意し、
英語が話せないにもかかわらず
妻と二人でイギリスへ出発。
コベントリー大学での歓迎
ランチェスター家(末弟の妻)を訪問した後、
創始者の資料を集めている
コベントリー大学を訪れ、
貴重な「原著」や伝記本を寄贈されました。
お墓の発見
イギリスは7割が
散骨文化で
お墓参りの習慣が薄いことから、
お墓を見つけるのに非常に苦労しましたが、
2回目の訪英で
ついにヘイワーズ・ヒース(ロンドン南方)近くで
ランチェスター先生の墓を発見。
「帰依(きえ)」の境地
竹田氏が動画で着用しているジャケットは、
ランチェスター先生が
晩年に愛用していた服と
同じデザインのものです。
宗教の「帰依」の定義
(衣に触れる、ひれ伏す等)に準え、
「私は創始者と同じ服を着ることで、
ランチェスター教に入信し、
先生の魂にお近づきになっている
(帰依している)」
とユーモアを交えて語っています。
6. 強者と弱者の経営戦略、そして「応用」に必要なひらめき
竹田氏は、
ランチェスター法則が
ビジネス界に残した最大の功績は、
シミュレーションによって
「経営戦略には明確に
2種類(強者と弱者)のやり方がある」
と数字で証明したことだと論じています。
強者の経営戦略(シェア1位かつ26.1%以上確保)
ライバルに
「10対6(約1.7倍)」以上の大差をつけている企業。
同業他社に比べて
極めて少ない経費(高効率)で粗利益を補給でき、
1人当たりの経常利益は
業界平均の2〜3倍に達します。
しかし、
このやり方ができるのは全体のほんの数社です。
弱者の経営戦略(それ以外のすべての企業、99.5%以上)
強者のやり方をそのまま真似(ミート)すると、
市場の「二乗作用」で圧迫され、
倒産の道(赤字自滅)をたどります。
倒産原因の7〜8割は
「強者と弱者の戦略の取り違い」です。
弱者の戦略に徹すれば、
強者からの圧迫を避けることができ、
注いだ努力(3の努力なら3の成果)が
等倍で返ってくる健全な経営を取り戻せます。
世間一般の大手出身コンサルタントや
ビジネス書が教える
「美しい戦略」の多くは
「強者の戦略」であり、
それを真に受けて
中小企業がマネをしてはならないと警告しています。
【原則の「応用」に必要な断絶とひらめき】
ランチェスター法則(競争の法則)は強力ですが、
それを自分のビジネス(例:財務、営業など)に
「どう応用するか」の間には、
論理だけでは繋がらない
「断絶(ギャップ)」があります。
このギャップを乗り越えるために必要なのが、
「ひたすら考え抜き、
頭の中でブツブツと
発酵が始まるまで執着すること」
そうして初めてある瞬間、
脳内に「知恵やひらめき」が降ってきて、
理論を自分の商売に
完全にアジャストできるようになります。
(これをもって免教皆伝と呼ぶ)
まとめ
竹田氏は、
田岡先生の急逝という試練を乗り越え、
創始者の故郷イギリスでの探求を機に
原点に立ち返ることで、
自身の理論
「ランチェスター経営(竹田ランチェスター)」
を完成させました。
動画の最後では、
中小企業の社長向けに作り上げた教材(CD/DVDなど)に
そのエッセンスのすべてを詰め込んでいる、
と自信を覗かせています。